この本の最初の方に上野の寛永寺が紹介されています。読んでみると、さすが、徳川家の菩提寺であったので、その広さ、スケールの大きさに只々驚かされます。
大雑把に言って、現在の谷中も含めて上野公園すべてが寛永寺の敷地だったと思って差し支えないでしょう。
どうやら、現在の上野駅のあたりも子院(宿坊と呼ばれていたようです)という各大名が参詣に来た際のお休み処が立ち並んでいたようです。
その名も、東の比叡山で東叡山寛永寺と名づけられ、その広大さとともに威風堂々とした大伽藍が存在していたのでしょう。
ですが、残念ながら幕末の上野戦争でそのほとんどが焼失してしまい、今では資料などから推定するしかありません。
そして、その後明治新政府の大久保利通が指定した5か所の公園地に上野寛永寺も含まれたことにより、現在の上野公園に至る道筋が出来たのでしょう。
また、上野広小路あたりから寛永寺に至る途中の川に、三橋(みはし)という3本の橋がかかっていたというのですから、これまた想像するとわくわくしてきます。お江戸はやっぱりすごかった!
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