台東区立下町伝統工芸館(ギャラリー匠)での袋物手作り教室も何とか無事に終了いたしました。最初、持ち込んだポータブルの工業用ミシンの糸調子が出ずに冷や冷やしましたが、何とか調整してうまくいきました。ついこの間使用したときは調子よく、そのままの状態とおもいきや、何かの加減で糸調整のねじボタンのところが動いたのかもしれません。やはり、かける前の試運転は必要です。ピッグスエードの巾着袋と、牛革携帯電話ストラップで、11名の受講者の方に満足して頂けたでしょうか。
終了後、ギャラリー匠の帰り道、六区ブロードウェイ(最近はかっこいい名称で呼ばれているようです)に人だかりがありました。近づくとなんと街頭テレビでした。液晶大画面(プラズマかもしれません)のテレビで競馬中継です。街頭テレビの言葉と状態が東京は浅草で脈々と生き続けていたとは驚きでした。
調べてみました。1953年2月1日にNHKが、同じ年の8月28日に民放の日本テレビが相次いでテレビ放送をスタート。当時のテレビはとんでもなく高い理由から、日本テレビが街頭テレビでテレビ放送の啓蒙を図ったそうです。日本テレビの「プロ野球巨人ー阪神戦」、「プロボクシング白井義男戦」、1954年2月には、NHKの「プロレス力道山、木村政彦ーシャープ兄弟」が放送されたそうです。写真で、街頭テレビに見入る大勢の人を見ますと、いかにこの技術が時代を変えたのかがわかります。今では、なくてはならないテレビとなりました。4月から携帯電話で見られるようになるんですからすごいもんです。
コメント