先日図書館で借りてきた梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」を読了しました。以前に読んでいるはずでしたが、きっと拾い読み程度だったのでしょうか、ほぼ内容が新鮮に感じられました。年月が経ち、違う意欲と目的で読むと内容の把握もまた異なってくるのかも知れません。
この本が書かれたのは今から42年ほど前です。その当時、今のようなパソコンや携帯電話などがあったわけではありませんから、それを使っての整理法とかの記述はありませんが、今に当てはめて類推して考えたりすれば、十分なヒントを与えていただける好著です。
さて、この本の最終章の11は「文章」という項目になっています。その中でこんなくだりがあります。「今日、すべての人にとって必要な、知的生産のための基礎技術としての文章は、ひとに感動をあたえるような、芸術的な文章ではない。ものごとと、思想とを、まちがいなく、わかりやすく、ひとに伝達できるような、機能的な文章なのである。」
まさに、今のデジタル社会にも十分当てはまる、切れ味のするどい内容が分かりやすい文章で述べられています。(原文のまま引用させていただきました)もちろん、先生は文学を否定しているわけではないともおっしゃています。
はてさて、この梅棹先生の栄養剤のような文章に感銘を受けて、下手な文章に少しでも磨きをかけるべく、また新たな知的探索を続けないといけません。さしずめ、今度は「文章術」かなんかの本をまた図書館で借りてくることにいたします。
コメント